セキララライフ

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読書感想文という名の害悪

お題「読書感想文」

読書感想文が大嫌いだった。

小学生の時に宿題として書かされる
読書感想文が何よりも嫌いだった。


どう思いましたか?
面白いと思いました。

何故ですか?
何故なんでしょうか...


小学生のときの僕は
自分が感じたこと考えたことを上手く言葉で表現することが出来なかった。
(今もできていない)

面白い小説を読んだとしても、
どこがどう面白いのか
面白い理由はなんだろうか
いや、そもそも面白いとはなんだ?


そんなことが頭の中でグルグルと回り続けて
鉛筆を持ったまま白紙の原稿用紙の前で固まり
放課後1人寂しく椅子に座っていた記憶が蘇る。


読書感想文だけでなく、
例えば遠足に行った感想文
何か演劇なり作品を鑑賞した時の感想文

その全てが書けなかった。


心の奥底では分かっていたのだろう。

感想文と言いながらも
自分の心の内が書けないことに
教師の思惑に則った文章しか書いてはいけない事に。


小学校教師が現代のこどもの読書感想文嫌い
ひいては読書嫌いなこどもを生み出す原因の一つではないか?


彼らは決まりきったお題目を好む。
『僕がこの本を読んで面白かったと思う点は
○○が○○して○○になった点に感動したからです。
僕もこれからは○○のようになりたいと思いました!』

こんな書き口の読書感想文が山のように出来上がってしまう。
どうして道徳的な決まりきった
子どもらしい(と大人が望みそうな)未来に夢溢れた
感想文しか認めないのだろうか。


感じたことを本当にそのまま書かせてあげれはいいのに。

こどもならではの独特の着眼点から
物語の新たな発見を得られることもあるだろうし

その子どもの考え方が特殊だったとしても
個性の一つとして見てあげる事が
教師という人間の役割では無いのだろうか。



僕は読書感想文が嫌いだった。
文章を書くこと自体が嫌いになっていた。


大学生になってレポートを書き始め
最近になってブログを始めて
文章を、自らの手で作り上げることの難しさを知った。


だが、それ以上に書いてみて
楽しさも少なからず感じていた。



読書感想文が、嫌いだった。
だから自分は文章や感想を書くことは向いていない
そうはやとちりしてしまう人はなんともったいないことか。


ブログじゃなくてもいい
Twitterや、Facebookじゃなくてもいい

自分が感じたこと、考えたことを
心の奥底から突き動かされるままに
筆を取り、書き綴っていくこと


体験してみないと分からない
そんな不思議な達成感が得られることに違いないです。




お題スロット『読書感想文』について

でした。










Peace